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2006/8/22 芝生刈りか、芝刈りか、芝生で芝刈りか。

むかし話のもも太郎のでだしは、むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、おじいさんはまいにち山にしばかりに行き、おばあさんはまいにち川にせんたくに行く。このおじいさんが山から刈って来るのは「柴」これは焚き木用の雑木の小枝の事。
「芝」と書けばこれは、イネ科の多年草。
「芝刈り」と書けば、その「芝(lawn)」を刈る事なのだけれども、私はどうしてももも太郎のおじいさんがまいにち山でしばかり、の「柴刈り」のイメージが浮かぶ。
だから、私は「芝生刈り」と言ってしまう。
しかし、「芝生」は芝の生えているところと言う意味で、芝と言う植物の事ではない。
だから「芝生刈り」では、芝生の生えている場所を刈るという意味になる。
なんだか少し意味がずれていそうな気がする。
正確には「芝生で芝刈りをした」と書くべきなのかも知れない。
それでもなんだか少しおかしい感じがする。
060822_001.jpg
今日は会社から戻って「芝刈り」をした。
夏の芝は長い目に残して刈る。決して短く刈ってはいけない。
芝を短く刈ってしまうと、下の枯れ芝が見えてきれいな緑の芝に見えなくなってしまう。
この事はジュンコリチャーズさんに聞いたし、田宮さン家の芝生も長めに刈っていて、緑がきれいだった。
短く刈ってしまうと、夏の強い日差しで根土が乾燥して枯れてしまうから、と田宮さんから教えて貰った。
もうひとつ、これも常識かも知れないけれど、夏の昼間の日差しが強い時に芝生に水まきをすると、すぐに水がお湯のように熱くなってしまって、芝が湯だって枯れてしまうとカミさんが誰かから聞いたらしい。7月、8月の昼間の日差しが強い時は、確かに日向にいたら湯だってしまうと言う感じは嘘ではない。
だから今日は6段階に調節出来るカッターの高さを、2番目の高さにして、芝を刈った。
しかし、それでも我が家の芝の緑はあまりキレイとはいえない。
両隣や向かいの芝生に比べて良くないように見える。
私が芝生の手入れの仕方を良く知らないと言うのが原因なのだろうとは思うが、それでも時々は、これがもしかしたら「となりの芝生は良く見える。」ってやつなのかなあ、とか思ったりする。これが不完全主義者の考え方。
気が向いた時、面倒くさがらずに芝刈りしていれば、手入れの仕方を知らなくても彼等は彼らなりに見栄えの良い芝生になってくれるはずだと思ってしまう。
良く分からないとは思うが、これが楽しく芝刈りをするための「極意」

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